このネタを描いてから、なかなかUPする気分にならなかったんだけど。
今日は久しぶりに涼しくて、雨も降って、とっても澄んで神聖な空気な包まれているからか、
じいちゃんのことを書きたくなり、綴ります。
その昔、轟城の城主(?)の家に生まれたじいちゃん。
だからか、詩を書いたり、手紙を書いたり、四季折々の文化行事を淡々とこなす。
その歳の割に教養があった。
戦争で砲弾が耳をかすめたせいで、耳がとても遠かった。
そのため生涯車を運転せず、どこに行くにも自転車だった。
毎日、上板から鮎喰(30kmくらい?)の職場まで通った。
雨の日も台風の日も、カッパを着て荷台に荷物をくくりつけ、危ない潜水橋を渡った。
歩く時はよろよろしてるのに、自転車にまたがった瞬間、凛とした姿勢でこぐ姿がいまだに忘れられない。
96歳で亡くなる直前まで、自分の足で歩けたのは、何十年と鍛えてきたからだった。
元々寡黙なじいちゃんは、ばあちゃんが亡くなってからより頑固になり、父と喧嘩することも多くなった。
笑うこともめったになかった。
でも、輝が生まれてから、見たこともない顔で笑った。
初節句の席では、祝いの舞と自作の歌を披露してくれて、家族全員を驚かせた。
そして、輝が1歳になった4日後、亡くなった。
さっきまで一緒に豚カツを食べて、歩いてお風呂に入る姿を見た直後だったので、信じられなかった。
じいちゃんが亡くなってから、東京のおばさん(じいちゃんの娘)とゆっくり話をする機会が増えた。
(それも夫が導いたんやけど。)
おばさんからは、知らなかったじいちゃんの話をたくさん聞いた。
戦争で亡くなった弟がいたこと。
ずっとずっと弟のことをいつも話していたそう。
戦地で亡くなった弟の遺骨は戻ってこず、
送られてきた箱の中は、「石」と「木の棒」だけだった。
おばさんが東京に嫁いだ数年後、
じいちゃんがやってきて一緒に靖国へ参拝に行った。
靖国の桜が入っているガラスのペーパウェイトを
同じように戦地で身内を亡くした近所の友人に買って帰ったそう。
友人は泣いて喜んだという。
桜の花びら、どんな思いで見つめていたのだろう?
弟への悲しみを背負って生きたじいちゃん。
最後の1年、ひ孫の成長をなにより喜んで亡くなっていった。
喜びは悲しみをきっと包んで癒してくれる。
それ程に、新しく誕生してくる命は尊くて愛しいものなんだ。
わたしたちができることは、
命を繋いでいくこと。
きっとなによりもの供養になると感じる。
今日は、そんな不思議な雨の日でした。