わたしのこと

しあわせにしたい

最近の気づきをまとめて。

【その1】この人の力になりたいなぁ、とか助けてあげたいなぁ、とか
思って相手に近づいた場合、大体、結局は自分が助けられる。

なんというか、結果、その人と接することで心が救われて波動が上がる。

「この人、大変そう、困ってそう」そう見える人って、
やっぱり与える側の人なのかな、と。

「乗り越えられる試練しか与えられない。」
「叶わない夢があるのはその人が自分で叶える力を持っているから。」
その渦中にいて、苦しんでいる。
だけれど、魂はわたしなんかよりずっと高い波動を持っている人で、
「助けてあげたい」と思って近づいても、逆に助けられてしまうという。(笑)

そして逆に、「この人に助けてほしいな、救って欲しい」と思って近づくと、痛い目に合う。
それはきっとクレクレ人間になってしまっているのを分からしめるために必要な出来事。

やっぱり人は人との出会い、関わり合いで成長していくんだなとつくづく思う。

【その2】なにかマイナスな言葉、引っかかる言葉を発した人には必ずなにかある。

その言葉に傷つくのは簡単だけど、傷つくことは浅い。
表面的にだけその人を見て判断しない方がいい。
その人がなにを抱えているのかは、こちら側からはなにも見えない。
どんな苦しみを背負っているのかは、きっと想像もつかないもの。

大きな力を持っている人。大きな幸せを持っているように見える人は、
想像もできないくらい大きな苦しみも抱えているから。

その時、理由はわからなくても、許してあげられる、大きい器をもとう。

だけど、マイナスの波動を受けてしまった時は、上手に距離をおこう。
吐き出す場所をきちんと見つける。
自分の身を守れるようにならないと、
大切な家族も巻き込んでしまうから。

【その3】許すこと
だから「人を許す」ということが大切なんだ。

相手を許せるようになると、まず、自分も苦しみから解放される。
悲しい、嫉妬、妬み、等から解き放たれて穏やかになれる。

そして、自分が許せるようになると、相手からも許されるようになる。
不思議だなぁ、相手は鏡。
それを期待して許してあげる、というのは違うけれど、
まず自分が変わることで、いい循環が産まれていくのは確か。

【その4】「しあわせにしてもらいたい」のか「しあわせにしたい」のかは大きな違い。

結婚当初は、夫のことを「幸せにしてあげよう」「わたしがいっぱい稼いでこの人に好きな勉強をさせてあげよう」という気持ちがあった。
だけど、同居、妊娠、出産、育児と大きな難題を乗り越える渦中でまったく自分に余裕がなくなってしまい、
「夫をしあわせにしたい」という気持ちが全くなくなってしまっていた。

そんな中、
鉄拳さんの「振り子」https://www.youtube.com/watch?v=O26qmkHYrZs
に出会う。

友人から「流星ワゴン」という小説を借りて読む。

それらは全てわたしに「取り返しのつかない夫婦愛」のようなメッセージを投げかけてきた。
他に、時間差で気づかされた出来事もあった。あの時はわからなかったけど、そうだったんだ・・。と。

ああ、夫に苦労をかけているな、とやっと気づけた。

天寿を全うする時、「この人をしあわせにできたか」
自分自身に納得ができるだろうか?
そうイメージした時、このままじゃいけない、と思った。

もっとこの人をしあわせにしてあげよう。

しあわせにしたい はコメントを受け付けていません